昌幸の遺言
軍勢を一つの塊と思うな
一人一人が生きておる
一人一人が想いを持っておる
それをゆめゆめ忘れるな
さて、九度山に流罪となった真田昌幸が死の間際で信繁に『心得』として遺言を伝える場面からはじまりましたが…
最後まで自分の配下一人一人の想いを大事にしていた昌幸の心意気を感じて胸が熱くなりました…
大大名に囲まれた小国の真田家の長として、最後まで強者に抗った人生でした
そして昌幸の最期のシーンは『武田信玄』の名を叫んで果てたのが印象的でしたが…
最期のシーンは武田軍の重臣として、最後まで旧武田家の領地回復を願った昌幸の忠誠心が見れました…
しかも武田軍が家康の馬印を『三方ヶ原』で倒しましたが、後に息子の真田幸村が『大坂の陣』で再度家康の馬印を倒すことになるというのも、因果ですね…
また冒頭の昌幸の遺言ですが、武田家の心得として有名な…
人は城 人は石垣 人は堀
情けは味方 仇は敵なり
(意訳)
人の力がないと城があっても役に立たない。信頼できる「人」の集まりは 強固な「城」に匹敵するという思想。
人は、情をかけると味方になる一方、権力で抑えつけれたり不信感を与えると必ず反発にあい、害意を抱くようになる。個々の特徴を掴み、適材適所で個人の才能を十分に発揮できる集団を作ることが大事で、その人材こそが城であり石垣であり堀である。という教訓。
人は、情をかけると味方になる一方、権力で抑えつけれたり不信感を与えると必ず反発にあい、害意を抱くようになる。個々の特徴を掴み、適材適所で個人の才能を十分に発揮できる集団を作ることが大事で、その人材こそが城であり石垣であり堀である。という教訓。
という言葉に通じていると思いました
昌幸が戦上手なのは、こういう考え方があるからこそ生きたんだと思いましたし、息子の信繁も同様の素質があったんですね
そんな38話でしたが、昌幸の最期に『敗戦国の悲哀』が見れましたが…
ここから大坂の陣で信繁が華々しく果てるまでの期間をどう描くのかも含め期待しています
来週以降も楽しみです
ではまた!
おまけ
さて、ここからは上田城についてす
JR上田駅から歩いて10分ほどで上田城跡公園に到着しましたが、思ったより駅から近くてビックリしました
そして敷地内に入ると城門がどっしりと構えてありましたが、ここが徳川の大軍を2度も撃退した上田城なんですね
城門の前には立て看板が立っていて『真田石』の解説がありました
真田信之(信幸)が松代に移封される際に、父昌幸の形見として持ち出そうとしたところビクともしなかったという堅牢な石です
こういう伝承があることからも、真田家がこの地に根差していたことを物語っていますね
ちなみに徳川家康の命により天守閣などが破却されてしまっているため、櫓や門しか残っておらず、城内には真田神社があるだけになっていました
それだけ家康にとってみたら『憎悪の象徴』みたいな城だったんだなぁ…と思わずにはいられませんでした
城跡というと、何もない草地か、しっかりと天守閣が残っているかを思い浮かべますが、上田城は櫓や門だけになっているんですね
ちなみに櫓の中に入ることができ、中から外をみるとこんな感じです
櫓から新幹線方面をみるとこんな感じで…
周りを山々が囲っていて、信州らしい風景でした
自費で作ったとはいえ、さぞ家康の大軍も攻めずらかったでしょう
城にかかる橋から堀を見ると、緑が茂っていて自然を感じます
堀には水が張ってあり、その先には山々が連なっていて綺麗な風景でした
こういう形で上田城が成り立っているのを実際に見て感じることができてよかったです
ちなみに隣接した施設では『真田丸大河ドラマ館』が開催されていました
真田丸のテーマパークのようになっていて、観光客の方々も大勢来ていました
中にはセットや衣装、スタッフやキャストの皆さんのコメントやサインなどが飾ってあり、真田丸ファンにとってはたまらない施設です
ちなみに写真撮影は1か所を除きNGですが、その1か所の特注甲冑のところだけOKでしたので撮ってきました
真田丸の資料では絵コンテもありましたが、アニメの絵コンテみたいにしっかりと絵が描かれていて面白かったです
そんな感じで上田城を見てきましたが、また時間があるときにじっくり見たいと思いました
そして上田城のいたるところに『真田十勇士』の名前が出ていましたが、大河ドラマではどんなメンバーが真田十勇士を演じるのかそれも楽しみです
映像では冬の雪景色の上田城もあって綺麗でしたし、季節によってさまざまな姿を見せる上田城に、是非とも真田丸ファンは行ってみてください