さて、今回はサッカーオリンピック代表のオーバーエイジ枠で選ばれた興梠選手の学生時代の恩師の記事が非常に興味深かったのでご紹介です
記事の内容としては、小学5年生からサッカーを始め、いきなりハットトリックを決める天才少年だったものの、中学時代は部活も出ず、高校受験に失敗したところ、鵬翔高時代の松崎博美監督に見いだされ今に至るという、まるでマンガのような人生だったことが描かれています
もし松崎監督に見いだされていなかったら、これだけの才能が埋もれていたかもしれないと思うと、人の縁というのは不思議なものですね…
そして、記事では高校入学後に部活をサボっていたものの、監督からの電話があまりにしつこいので出たら『試合に出ろ』という監督の言葉で試合に出たら点を獲ってしまうというのも面白いエピソードですし…
今まで興梠選手の学生時代のエピソードを知らなかったので新鮮な記事でした
ただ『もし小学生時代から真剣にサッカーに打ち込めば世界的な選手になっていたか?』というとそれもまた別の話で、途中で怪我などでリタイヤしていたかもしれませんし、今までの人生が興梠という選手を作り上げたんだと思います
その話で思い出すのは、数年前まで8部リーグで選手をしながら工場で働いていたバーディが、今やイングランド代表にまで駆け上がったのは多くの人に夢を与えましたし…
バーディの快速ぶりはやっぱり『カウンターのチーム』だからこそ生きますし、そういう意味でもレスターでよかったと思います
バーディも8部リーグを経た人生だからこそ今の躍進を得た選手なんですよね
さらに、興梠の話を聞いて思い出すのは浦和一筋20年間在籍した山田暢久選手のことでした
当時チームメイトだった『バルセロナ』のチキ・べギリスタインやユーゴ代表だったペトロから『世界で通用するのは小野伸二よりも山田暢久』と言われていたくらいのポテンシャルでしたが、結局海外には出ず日本で最後までプレーしましたが、浦和の数々のタイトルに貢献した選手として永遠にその功績は語り継がれることになりました
暢久ももっと本気で世界を狙えば、世界に名の知れた選手になれたかもしれませんが、浦和に20年間いてくれたことで浦和で愛される選手になったのは間違いないです
さてそんな興梠選手ですが、オリンピック代表に合流し、これからブラジルに向かいますが、ぜひとも世界を驚かせる活躍をしてほしいですし…
ぜひともメダルを取って手倉森監督を男にして日本に帰ってきてほしいです
ではまた
おまけ
そういえば、イングランド・プレミアリーグで奇跡の優勝を成し遂げたレスターの監督のラニエリの言葉として…
私は、君たちには仲間のためにプレーして欲しいんだ。
小さなチームだ。魂の全てを賭けて、ハートの全てを賭けて戦わなければならない。
対戦相手の名前は気にしない。私が求めるのは戦うことだけだ。
対戦相手の名前は気にしない。私が求めるのは戦うことだけだ。
相手の方が強ければ、それはOK、ありがたい話だ。彼らは我々より強いところを見せなければならないんだからね
と、イタリアサッカー連盟が海外で活躍する監督を表彰する『エンツォ・ベアルツォット賞』にラニエリを選出し、その受賞に際してのラニエリからの手紙がユーモアに溢れて素晴らしいということでご紹介しましたが、日本が世界で勝つための要素がこの言葉にすべて盛り込まれていると思います
興梠選手が選ばれたのも『チームのために戦える選手』だからこそですし、遠藤キャプテンとオーバーエイジ3人が中心となってレスターのような『世界に驚きをもたらすチーム』になってほしいと願っています